隆の日々の所感

登山家「栗城史多」さんの文章が響いた、2015年初の伊豆遠征。そして見えた人生を懸けてやるべき本当に楽しい事。

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厳寒期2月の伊豆半島地磯でのヒラスズキ狙い。洗礼を受けた今年初ソルト(2015年)」 栃木県からはすごく遠い静岡県伊豆半島に。遠征ですね。 そしてその時の遠征に僕は丸4日程の時間を無理矢理にでも確保していました。 この寒い時期に伊豆半島で釣りをしてみたかったのです。また来年も同じ寒い時期は来ると思いますが、2015年の冬というのは宇宙的にみても、たった一度しかないのです。今やらなかったら、もう二度と出来ない事でもあるのです。 今しか出来ない事を。 そんな思いも持ちながら行った伊豆遠征でした。 がしかし、僕はたった2日で、帰路に着く決心をして家に戻って来ました。 しかも、釣行記にも書きましたがノーフィッシュでした。 それに移動費が往復で2万円近くかかるし、せっかく行ったんだから、それなりに色々やらないと大赤字です。でも滞在2日間。 年収200万円もいかない僕にとって、その行動は贅沢にも思います。 でも、そんな思いを超えてしまう気持ちに出会ったからなのか、魚を一尾も手にしていない上に時間の猶予もあったにも関わらず、僕は帰る決心をしたのです。 そして、家に着いて一眠りした朝、Facebookにて登山家の「栗城史多」さんが書いた文章に出会いました。 そして、とても響いた文章がありました。

「楽しくなかったら下山しろ。」 と、 「心の余裕を失った時、それが山の事故に遭う一歩手前だという事です。」 という文章です。   その時の僕に当てはまっていた様な感じがしたからなのか、すごく響きました。 それが響いた理由はその時に始まった事ではなかった様です。 数ヶ月前から今までになかった事が僕の身に起きていました。 すごく細かい事なのですが、「タンスの角に小指をぶつける」様な事が日常の中で結構頻繁にあったのです。 肩や足、腕など、よくドアや柱にぶつけたりしました。 食事の時、血を出すまで深く舌を噛んでしまったりする事もありました。 電子レンジでものを温めてそのまま次の日まで忘れている事もありました。 いつも同じ場所に置いているものが、あれ?何でこんなとこにあるんだろう、もありました。 と、とにかく、落ち着きがなかったです。 そして、自分に対して、よく頭にきていました。ちょっとしたこういうミスに「なにお前やってんだよっ」て心の中で怒鳴り付けていた時も、周りに誰もいない時は声にもしたりしていた時もありました。 振り返ると、日々の仕事に追われ、特に、年が明けてからは「3歩先は走れ」的に動いていた様に思います。 そんな矢先の伊豆遠征。 遠征はいつもながら僕にとっては特別なものなので、充実したものにしたいという気持ちでいっぱいです。 でも当然の事なのか、今回の遠征中も前述した「小さなミス」の様なものがありました。 木の枝に頭をぶつけてしまう事が何度かあったり、山道を歩く途中に釣りではかなり要な竿の竿先の管理が雑で木や岩にぶつけたりこすったり。 押し寄せてくる波を見て、大丈夫だろうと安易に思ったら、思わぬ方から波がまわってきて顔面から波を喰らったり。 そして、決定的な事。 ルアーを変える際に、ルアーを落としました。足元から約3m下の岩の上に。 ルアーを落とすなんて伊豆遠征では初めての事です。 この時思った事。 「ルアー落とすくらいならいいけど、命は落とさない様にしなきゃな」と。 これを思ったのは遠征2日目の午後3時くらいでした。 そして、その直後、今年初の伊豆遠征では最後となった場所で、ここ数ヶ月で自分の身に起きていた「小さなミス」に気付き、一度出直そうと、帰る決心がついたのです。 そして帰って出会った文章、 「楽しくなかったら下山しろ。」 「心の余裕を失った時、それが山の事故に遭う一歩手前だという事です。」 沁みましたね。 きっと、僕にとって今回の遠征は楽しくなかったんでしょう。楽しむ心の余裕がなかったんでしょう。 そしてその心の余裕がないだろうが故に僕が起こしていた小さなミス。きっと大きな事故の一歩手前だったのかもしれません。 今回ばかりは、オーバーヒートしていた様です。 仕事の合間の遠征では無く、仕事を置き去りにしての遠征となり、結局は遠征中も「あれもこれもやらなきゃな」という事が頻繁に頭をよぎっていました。 そして色々迷いがあったからオーバーヒートしたんだと思います。 でもオーバーヒートしたという事に気付けたという事は、僕にとってやらなきゃならない事が分かって来た、変わってきた、という事なんだと思っています。一方、やるべき事ではない事も分かって来た、変わってきた、という事でもあると思います。 それはそれまでの自分の行動を適当に選んでいた、という事にもなります。一度しか流れる事のない時間を適当に過ごしていたわけです。本当はすべての行動、人生を懸けてやるべきなのに。もう大人なのに、です。 すなわち、そう自分を見て、人生を懸けてやる事が見えてきた、という事です。 僕は現在35歳。 「余裕に適当になんか行動を選んでいられない 」 「人生を懸けて行動しろ」 ちょっと気付くのが遅過ぎた感じがしますが、よく聞く「やりたい事だけをやった方がいい」というフレーズが少し分かった気がします。 これはまた僕は別人になった、なっていた、とも言える事です。 これは出会う人、世間も変えてしまう力を持っている事に感じます。 でもこれは仕方のない事に思っています。そこで変に我慢をして自分に嘘をついて世間を繋いでいるくらいなら思い切って切手しまった方がいいと思っています。 きっと、僕にとって今はその転換期なんでしょう。 まだ漠然としているところもありますが、転換して行きます。 怪我したくないので。 釣りは楽しいものです。 楽しいが故に人との繋がりも変えてしまう程。 そして釣りは僕にとって人生を懸けてやる価値に値するものにまた前進しました。 もう迷わない様に頑張ります。 もう一度、原点にあった釣りの楽しさを思い出して。 あ、音楽を辞めるわけじゃありませんよ。 音楽も、僕の釣りには必要なものです。 そのくらい、釣りは楽しいものなのですよ。 ここまで思わせてしまう釣りの世界、すごいな。  ]]>

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