「「移住する日を決めちゃえば?」という人が現れた。あなたならどうする?」
↑以前書いた記事にて移住日程を決めましたが、まだ漠然としていて、準備なんて出来てる実感すらほとんどないです。ですが移住日程を決めてからというもの、意識が変わっている実感はあります。今まで思った事のない様な事や感じた事のない様な事に出会う機会が増えました。そして、当たり前に思う様な事ももっとリアルに感じる様になりました。
主に時給系アルバイトで食いつないでいる35歳の僕にとっての移住って、色んな事が起きます。
僕の移住の理由は、僕が関わっている会社の都合や家族の都合ではありません。
僕の身勝手な都合で、「あ、行ってみたい」と思った事から始まった移住計画なのですが、当たり前に色々な事が起きますよね。
今現在、僕が従事している会社や組織とは、離れる事になります。ネットとかで出来る仕事、データ等で済むやり取りは可能かとは思いますが、それ以外の肉体労働系のアルバイト、音楽関係の事も含め、ほとんどの事は辞める事になります。
移住って色んな事を辞めなきゃならないんだなぁ、と。当たり前なんですが、じわじわその波を感じる様になりました。
「今の関係を離れる」←これ、切なくもあるけど、とても清々しい。
今の関係全部が嫌なわけじゃないですよ。今の関係全部が楽しくないわけでもないです。
僕のの地元、栃木県佐野市周辺で築いた関係は大きなものですし、その関係を離れる事には勿体なさも感じますし、正直、怖さもあります。
だから、ここで大きく変えるため!っと表面的には僕自身も思いがちなのですが、そこには違和感を感じるのです。自分を大きく変えるため、だけじゃないと。何なんでしょう。この先何が起こるか分からない事がそうさせているのか、そこに魅力を感じているのか。
この、何が起こるか分からない事を目の前にすると、どうしても開き直る様な感覚でしか太刀打ち出来そうにありません。この開き直る様な感覚、とても清々しく感じるのです。
移住する事には迷いはありません。その理由は、
別れがある事が分かっても、僕は移住に迷いは感じていません。これにはちょっとした理由があります。それは、「人は絶対死ぬ」という事は「僕は絶対死ぬ」んです、と意識するとどういうわけか、あまり怖さが無くなりそこで僕自身何がしたいかが見えてくるんですよね。
そこで見えて来たのが「移住」だったのです。その「移住」の中には「たくさん魚を釣る」という事、「そこでの音楽とは何なのか」を見つけたいという事も、たくさんの事を含んでいる事も大きな要因でもあります。
この様に死を意識した先の意識があると、「今の関係を離れる」事には怖さを感じません。ただ、会いたい人に会えなくなったり、あの仕事をしながら過ごした時間は楽しかったな、が出来なくなる事にはちょっと切なさを感じますけどね。
今の関係を離れる事に切なさを感じるも迷いはない移住。だからこその密度の濃い今の時間。
「ずっと続ける」、じゃなくて、「あと◯◯日でお別れ」という意識を持って過ごすと、例えそれが労働であってもしっかりやりたくなってしまいます。何だか異国の地に旅に出て、その異国の地で経験しているもの、の様な感覚に包まれる時が増えました。
今目の前にある、場所や関係も、もちろん人とも離ればなれになる事を分かった上で過ごす時間を目の前にすると、とても濃い密度の様な時間を感じます。そんな時間を目の前にしてしまうと、何か、どこか、すっごく大切にしたくなっちゃうんですよね。
「一期一会」という言葉が僕には聞こえてきます。